腸の健康は心の健康「愚痴」を乗り越える

2017年9月6日

こんにちは。應慶秀です。
お元気にお過ごしですか?

今まで書いたことがなかったのですが、
たまには「心の健康」について書くのもいいかなと思い
お伝えすることにします。
どこかお役に立つ所があればと願って書きました。

わたし、
これまで健康の基本は「快便」などと言ってきましたが、
それは実は浅い考えですよね。
だれでも気づいているように、実は
健康のおおもとは心にあるんですよね。

まあ、快便=腸の調子=心の調子ということで、
繋がってはいます。
最近の研究では、
脳と腸の密接な関係が明らかになってきてますよね。

 


愚痴について考える


さて、心の健康第1弾は、愚痴についてです。

「そんなこと考える暇があったら行動しろ。」と
もう一人の私が叱ってますが、
その行動が今これを書くことということにします。

「愚痴」とは、辞書的には
「言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。」
ですが、これ、意外と分かってない人が多いように思います。

というか、正確には、
分かっていても言ってしまうのが愚痴なのでしょう。

相手の発言に対して、
「愚痴を言うのはやめましょう。」とか
「愚痴になりますから。」というと、
「これは、愚痴ではありません。」
などと言われると、
何も言えなくなります。

言い返すことも、言ったことも
私自身の愚痴だったような気がしてきます。

物言えば唇寒し秋の風

芭蕉の俳句ではないが、唇が寒くなってきます。
こういうときは黙るに限るのでしょう。

そもそも「愚痴」は仏教用語のはずです。
文字通り「おろか」という意味です。

語源はシンプルです。
現代語では「バカ」「アホ」ということでしょう。

愚人と賢人の違いは、
物事の本質が見えているかいないか、
現在の状況に対し迷いがあるかないか、
進むべき先が見通せているかいないか
ということと思います。

自分がかくありたいと望む方向に
事態が進まない時、
人はまずその原因を考える。

その原因を他人に向けて口にすれば、
愚痴になり悪口になる。
本人はストレス解消するかもしれないが悪業となる。

原因を自分に向けて自分を責めて
前向きになれないときも、
口にすれば愚痴となり、
口にしなければ鬱積される。

私は、愚痴であるかどうか判断する基準は
「前向きであるかどうか」ということと思います。

愚痴の人は、
当面する問題や人に対して否定的なことのみ口にします。
前向きな人は、
問題の解決策を探ろうとしたり、解決策を提示します。
そして、
人に対してはその長所を認めよう活かそうと考えます。

それでも、前向きなことが言えない場合は
寡黙な人が立派に見えてきます。

寡黙な人間は意見を持たないようにも見えるし、
多くのストレスを腹に溜め込んでいる
ようにも見えますが、
愚痴や悪口を言わない分立派に見えます。

「しかたがない」と諦めてしまうのは、
一見悟りのようにも見えますが、
浅い解決策だし念仏的な「諦め」の解決のように思います。

というのは、
「あきらめ」は元来「明らめ」ということで、
物事の本質を見極めることなので、
give upすることと同義ではなかったのですが、
現代では否定的な意味合いが強くなってしまいました。

もちろん、放棄してしまったほうが
精神的には楽になるので
心の健康には良いかもしれませんね。

一時的に当面する問題を放棄することにより
起死回生を図るという柔軟な姿勢も
前向きで愚痴とはかけ離れた解決策
といえるのではないでしょうか。

仏教では、「貪瞋痴の三毒」と言い、
愚痴の他に貪(貪り=欲望)と瞋(怒り)も
悟りを妨げる煩悩の中心となるものとしています。

健康の究極は「悟り」でしょう。
安らかな腸であるために、
愚痴もない、貪りもない、怒りもない生活をしたいものです。

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