子どものワガママにどう対処 したらいいの?

子どものわがままは当たり前

子どもがわがままなのは当たり
前のことです。

親は一応大人ですが,
普通「わがままではなくなった
人間」である大人を基準にして
子供を見たら,いら立つことに
なります。

すなわち,「わがままでないの
が当然」と思うから苛立つので
す。

子どものワガママが許せないと
すれば,それはあなたがまだ未
熟でワガママな大人だからとも
言えます。

「ワガママ」とは,「我がま
ま」すなわち,悪く言えば「ジ
コチュウ」=自己中心主義です。

しかし,よく言えば,「自分の
欲するようにしたい」という行
動欲求なのですから,れっきと
した成長のあかしとも原動力と
もいえるでしょう。

なので,まずその良いところを
認めてやりましょう。

親子に限らず,互いの人格を
尊重することからコミュニケー
ションは成立します。

大人は,子どもというものは大
人の言うことを聞くものだと思
っていますが,それは,大人の
勝手な思い込みです。大人から
子どもへという一方的な関係で
はコミュニケーションとは言い
ません。

子どもから大人へという思いを
認めなければ,コミュニケーシ
ョンは成立しないし,子どもは
大人の言うことを聞きません。

大人同様,いうことを聞くふり
はするようになるでしょう。

実は,これも大人が教えている
のです。例えば,悪いことをし
たときに「ごめんなさい」をさ
せることなどは,それに当たり
ます。

子どもは改善することも悔い改
めることもなく,対処法を学ん
だだけです。

大切なことは,子どもの気持ち
に寄り添うことではないでしょ
うか。子どもは,自分のことを
分かってくれる大人の言うこと
は意外にあっさりと聞くもので
す。

「人格を尊重する」とは,「認
めること」です。「認める」と
は,相手のありのままを受け容
れるということ。

コミュニケーションは認めるこ
とから始まる

この「認めてやる」というとこ
ろが重要です。

これは,大人でも同じことです
が,「認められる」ということ
は,人格を尊重されるというこ
とですから,相手の言うことを
聞こうという態勢に入る重要な
条件なのです。

これがなければ,子どもは言う
ことを聞きません。

「なんでこんなことができない
の?」という上から目線で接し
ていたら子どもとのコミュニ
ケーションは図れません。

「1+1」を理解できない子ど
もに苛立っていたら,子どもと
のコミュニケーションは図れま
せん。

実は,私,定年後のアルバイト
として,最近放課後の児童託児
所(児童クラブとも,放課後デ
イサービスとも言います)で働
きました。

そのとき,気になったことは,
若い職員の口うるささです。考
えてみれば,わたし自身も駆け
出しの教員だったころは同じよ
うなものだったと思います。

一生懸命な若い職員を見ている
と,何も言えませんが,あれは
ダメ,これは×,それはアブナ
イ・・といった具合です。それ
に対し,年配あるいは有能な職
員は静かなものです。

子どもは,生きる名人ですから,
しかられて,元気よく「はい」
と返事したり,シュンとなった
り,形だけ「ごめんなさい」と
言ったりしますが,すぐにケロ
ッとして,また同様のことを繰
り返します。

あるとき,男の子がおもちゃを
いくつも独り占めにしていまし
た。それをまた別の子が黙って
奪おうとしてケンカが始まりま
した。

そこに割って入った若い職員は,
乱暴者の男の子に一方的に「独
り占めはいけません」と叱りま
した。しかし,未発達な彼には
その指示は通りません。

そこで,私は彼に提案しました。
まず,「全部自分の物にしたい
んだ。」と彼の気持ちを認めた
うえで,「じゃあ,ひとつだけ
小さい子に貸してあげようか?
」と言いました。

すると,スッと1つ差し出した
ではありませんか。すかさず大
げさに褒めました。「やさしい
ね。おおきくなったね。さすが
だね。」と頭をなでなでしてや
りました。

こういう子にダメダメ言ってい
たら一日中言ってなければいけ
ません。こちらも疲れるし,本
人も慣れっこで何とも思わずス
ルーします。

肝心なのは,「ダメ」は(命に
かかわるときなど以外は)極力
言わず,良くできた時に即認め
てあげることです。

「良くできたとき」が少ないと
きは,「悪くない時」にも認め
てあげます。

例えば,いつも傷付ける言葉を
吐いている子には,それを一言
も言わない時,あるいは静かな
時に「きょうは××って言わな
いね。おりこうだね。」などと
認めてあげます。

祖父母のようになろう

孫のいる年齢になって分かるこ
と,できることがあるようです。

世間では,祖父母が孫に甘いの
は常識となっていますが,その
理由は単に「可愛いから」であ
ると思われています。

確かに,年をとればとるほど子
どもへの慈しみの感情が深まっ
てきます。孫に限らず,自分の
子でさえ後にできる子ほどかわ
いいものです。

それは,親がそれだけ年を重ね
ていくからです。年を重ねて,
行けば行くほど老いていき,死
を意識することが多くなるので,
幼い命が愛おしいのです。

ましてや,祖父母ともなればな
おさらです。

そして同時に,大抵の場合,年
を取れば取るほど人は成長しま
す。

なので,若い時は気になってい
た子どもの未熟な行動の多くを
大目に見ることができるように
なります。

若い者から言わせれば,そのこ
とを「甘やかしている」と判断
するのでしょう。

命にかかわることなどの例外の
場合だけでなく,ときには厳し
い態度も必要でしょう。しかし,
それは子どもがそれを聞き入れ
るだけの成長を遂げた時のやり
方なのではないでしょうか。

親(大人)を試すワガママ

先日,床屋の待合コーナーで,
あるおじいちゃんと孫のやり取
りを聞いていて苦笑いをしてし
まいました。

おそらく孫が先に終って祖父が
これからだったのでしょう。待
ちきれない孫は,おこずかいを
せびって近くのゲームコーナー
に行ってきたようです。

帰ってきた孫は,何と再びおこ
ずかいをせびりました。面白か
ったのは,そのせびり方がうま
かったことと,せびられた祖父
が2度目のこずかいをしぶしぶ
渡すときのつぶやきでした。

「しょうがねえなあ。これだか
ら連れてきたくなかったんだよ
なあ。」と言いながら渡したの
です。

私は心の中で言いました。「ど
うせ渡すのなら気持ちよく渡し
なよ。」と。

これだから,祖父母は甘いと若
い親からバカにされるのです。

この場合,子どものしつけを考
えたら,大人はある程度の厳し
さを持つべきであることは言う
までもないでしょう。

これでは,子どもは,つけあが
るばかりです。将来のそのおじ
いちゃんと孫の関係が心配にな
ってしまいました。

子どもは,自分が認められた
(愛されている)存在であると
いう自覚があれば,自分の意に
添わない(厳しい)言葉でも従
うものなのです。

良い意味で祖父母の甘さを持ち
つつも,子どもの正しい成長を
願って,肝心なところでは厳し
さを忘れないようにしたいもの
です。

この厳しさとは,もちろん「大
人自身に対する厳しさ」が前提
になります。

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